2020-05-26 第201回国会 参議院 法務委員会 第8号
そして、検察庁のOBは、フランス絶対王政時代のルイ十四世の朕は国家なりという言葉を出したり、あるいは、ジョン・ロックの「統治二論」に記されている法が終わるところ、暴政が始まると、こういったような引用もして警鐘を鳴らしましたけれども、検察トップであったOBさえもこのような受け止めをしているということについて、政府参考人は先輩の懸念をどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。
そして、検察庁のOBは、フランス絶対王政時代のルイ十四世の朕は国家なりという言葉を出したり、あるいは、ジョン・ロックの「統治二論」に記されている法が終わるところ、暴政が始まると、こういったような引用もして警鐘を鳴らしましたけれども、検察トップであったOBさえもこのような受け止めをしているということについて、政府参考人は先輩の懸念をどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) このイランと米国の対立というのは、これはもう長い歴史があるわけでございまして、かつてのシャーの王政時代が、これは、ホメイニ師を中心とした革命によってこれは政権が覆り、その後アメリカの大使館の占拠事件等々もあり、米、イランの対立が今日に至っているわけでございます。 その間、イランの核合意について合意が成ったのでございますが、米国が離脱を表明したと。
歴史的に見ると、王政時代に議会に対して解散権を有していたのは王権でした。議会は王権を制約するための機関であったため、解散権は、議会と対立、緊張関係にある王権が議会に対抗、抑制する手段として位置づけられていました。 しかし、民主制下での議院内閣制では、内閣と議会の間にこのような対立関係はありません。
歴史的に見ると、王政時代に議会に対して解散権を有していたのは王権でした。議会は王権を制約するための機関としてつくられましたから、王権と議会は、対立、緊張関係にあるのが前提でした。こうした時代に、王権が議会に対抗して、これを抑制、牽制する手段として解散権が位置づけられていたのです。 ところが、民主制下での議院内閣制ではこの前提が変わっています。
議長も立憲主義を王政時代の古い考えだと思っているのですか。 山崎議長は、福井県議会議長を務められた後、平成四年の参議院通常選挙に初当選されました。橋本内閣で大蔵政務次官、小泉内閣では内閣官房副長官を務められました。自由民主党においては参議院幹事長を務められ、参議院では平成二十四年に副議長、そして二十五年八月から議長を務められています。
今、憲法のお話もありましたし、放送法、公職選挙法で民主政治、民主主義という話もありますけれども、私は、憲法や民主主義、民主政治というものは、決して、どなたかが言うように、王政時代のものだったとか、あのときは権力を縛るものだったというようなものではなくて、常にその時代時代において不断のチェックをかけていかなければいけない。その役割を報道、テレビの放送機関というものは負っている。
○村上(政)委員 大臣、今、実際の総理の答弁というものが手元に来て、その総理の答弁というものをごらんになった上でもう一度お答えを頂戴できればとは思うんですが、総理がおっしゃった趣旨というのは、私が理解するに、権力を縛るというような憲法観というものは今の主流ではなくて、絶対王政時代の非常に古い考え方であると。
もちろん、その一面を私は否定したことは一度もないわけでありますが、それだけではなくて、つまり、かつて王政時代に王権を縛るというもともとの淵源はあるわけでありますが、自由と民主主義、そして基本的人権が定着してきた今日においては、それのみならず、いわば、国のあり方、理想についても、それは憲法に、新しい憲法をつくっていく上においては込めていくものであろう。
そういうふうに非常に政治上の変革があって、帝政時代、王政時代の残滓はすべてこれを一掃してしまえという意見があるにかかわらず、勲章だけはずっと今日まで続いておる。百五十何年続いておるわけであります。それは古さと、そうしてナポレオンが作ったという伝説的なところが、この勲章に一つのゆかしきかおりと潤いをつけておる。これが私は国際的に大切なことではないかと思うのであります。
非常に荘厳な宮殿があるという報告を受けましたが、私どもがやはり現地で外国の宮殿を参観いたしたりなどいたしまして得ておる印象は、何と申しましても、数世紀前に作られた絶対王政時代の、絶対権力下に作られた豪壮な建物が多いわけです。従って、近代社会において、事、宮殿といえども、ああいう意味の豪壮さというものが必要であるのかどうか。
西暦一七九年のフランス革命に際し、王政時代の制度をことごとく改廃する必要あり、ために勿卒の間に仏国はこれを用いたものである。又ドイヅは西暦一八七一年多数の小国を統一して連邦となせる際、如何にも多数の小国がおのおの別々の度量衡を有し、真に種々雑多であつて不便混雑に堪えず、止むなく隣国フランスのメートル法を用いたるに過ぎないと説明しておられる。思うにメートル法は全く革命の産児である。